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rogomini.pngひばるまつ (神仏習合御田植祭)県指定無形民俗文化財

EPSON001.JPG 桧原まつは、五穀豊穣を祈願する神仏習合のまつりで、七百年来の伝統をもち、毎年4月第2日曜日、正平寺及び旧寺領であった山麓の上ノ川内、中畑、福土の三集落の信者によって執行される。
 講堂で法要の後、みこし三体の御神幸があり、薙刀をもった僧兵、僧侶、みこしのお練りの後、御田植式(マツヤクと云う)がある。
 御田植式は水とめ、田打ち、あぜぬり、しろかき等、苗代準備から種子蒔までの一連の所作が古式豊かに行われ、近郷の農家はこの祈願したもみ種を持ち帰って自家の苗代に一緒に蒔いて豊作を祈ったものである。
 当山と共に豊前山岳仏教の霊場として名高い英彦山、求菩提山、松尾山等にも御田植式が伝えられているが、神仏習合の形が残っているのは当山だけである。又、桧原まつは中津の浜の汐汲み行事から始まり、祭典当日まで七日間、山頂上宮の桧原権現参拝行が行われている。
 なお、現在は行っていないが、御田植式終了後、マツ柱(幣柱)の行事があった。予め立てられた14.5メートルの柱に登り、御幣を立てて秘法を行い幣を切り落とす行事であり、祭典の重要儀式とされ、桧原まつの名はこれによるとも言われている。

rogomini.png宝 塔

宝塔_0361.JPG・1号宝塔
自然石の平石を基壇とし、二段一石からなる基礎の上に、珍しい方形の塔身をのせる。笠は照屋根の二重軒口とし、笠上には露盤一段を作り出す。相輪は基部に単弁の請花・反花を残す。塔身四方各側面には、舟型光背状に仏龕を彫り沈め、蓮座に坐す大日如来や阿弥陀等の仏体を半肉彫りしている。仏体の像容や笠の特徴などから南北朝後半期の特色を示しているが、室町時代に造立されたと思われる。
・2号宝塔
塔身以上を直接巨石の上に据えたもので、基壇・基礎は無く、塔身はやや裾広がりの不規則な八角柱状をなし、上端に首部を造る。笠は軒口厚くゆるやかな反りを見せ、頂部は相輪とせず宝珠型をのせる。形式上の特徴から南北朝時代の造立と思われる。
・宝篋印塔
桧原山上宮には、江戸初期、中津藩主小笠原長胤が寄進したと伝えられる基壇・基礎・塔身・笠・相輪の5部材からなる宝篋印塔がある。

rogomini.png梵字鳥居 県指定有形文化財(平成15年3月指定)

鳥居_0360.JPG鳥居は、山頂の桧原権現に奉納されたものであるが、本堂と庫裏の中間に建立されている。神仏習合の鳥居として、台輪があるのは国東六郷満山のものと同じであるが、島木の部分に梵字七字を彫刻している極めて貴重なものである。寛文9年(1669年)建立。

rogomini.png千本かつら (標高540米)県指定天然記念物(昭和28年4月20日)

IMG_0380.JPG 正平寺から700m北にあり、一株から二十本位にわかれた「かつら」の大樹である。当山で修行した役の行者が大和のかつらぎ山から持来て植えたものと言われ、上半月は宇賀神の霊がやどるとの伝説がある。常世の樹(石牟礼道子著)に紹介されている。
(株の周り約10m)